コラム「真宗で終活!」第3回
2025.12.08
『ひとりふたり・・』(法蔵館発行)に2022年1月発行の161号より2024年9月発行の172号まで連載しておりました「真宗で終活!」をコラムとして掲載いたします。
「真宗で終活!」第3回
「仏教の終活」 −後世を祈る−
人は必ず、このいのちを終えていきます。そのことを、否(いや)が応でも考える時が、通夜・葬儀でしょう。大切な亡き方が、最期に身の事実をもって教えてくださることは、人は誰もが例外なく、いのちを終えていくということです。
浄土真宗の葬儀では、亡くなった方を死後の世界に送るなど、いわゆる「引導」を渡すという作法はありません。大切なことは、残されたものたちが、亡き方を諸仏として出遇い直し、仏の教えを聞くことであります。
大切な方の死は、私たちの心を揺さぶります。「どこへ行ってしまったのだろう」「死後の世界があるのだろうか」「死んだらどうなるのだろう」「死とは何か」など。
しかし、その問いは、とても大切なことです。「日常」からなるべく死を遠ざけたいと思っている私たちにとって、「死」とは何かを考えることは、貴重なご縁です。
葬儀は、亡き方より、死にゆくいのちをどう生きて往くのか、そのことが問いかけられています。
浄土真宗の宗祖親鸞聖人も、その問いに、心を悩ませていらしたのではないかと思うのです。
それは、親鸞聖人のお連れ合いの恵信尼さまのお手紙に記されているお言葉から、そのように感じるのです。
恵信尼さまは、娘である覚信尼さまへのお手紙に、親鸞聖人が法然上人の許を訪ねるようになった経緯をこのように記されています。
山を出でて、六角堂に百日こもらせ給いて、後世を祈らせ給いけるに、九十五日のあか月、聖徳太子の文をむすびて、示現にあずからせ給いて候いければ、やがてそのあか月、出でさせ給いて、後世の助からんずる縁にあいまいらせんと、たずねまいらせて、法然上人にあいまいらせて、又、六角堂に百日こもらせ給いて候いけるように、又、百か日、降るにも照るにも、いかなる大事にも、参りてありしに、ただ、後世の事は、善(よ)き人にも悪しきにも、同じように、生死出ずべきみちをば、ただ一筋に仰せられ候いしをうけ給わりさだめて・・・
(『恵信尼消息』)
親鸞聖人は、九歳で得度されてから二〇年比叡山におられ、修行・学問を修めていらっしゃいました。その親鸞聖人が、二九歳で比叡山を後にし、法然上人の許を訪ねることになります。お手紙にはそのことが記されているのですが、そこに、比叡山を下りた理由として「後世を祈らせ給いける」「後世の助からんずる縁にあいまいらせん」というお言葉があります。
つまり、比叡山での修学では迷いを超えることができず、このあと自分はどう生きていったらいいのか、このあとの人生に救いの可能性はあるのか、ということに問いを抱えておられたのではないかと私は思うのです。
そして、聖徳太子の勧めをいただいて法然上人を訪ね、天候に左右されず、どんなことが起ころうとも一〇〇日通いつめて「後世の事」を聞き取られました。
それは、誰にでも同じように、ただひたすらに「生死出ずべきみち」をお話しくださっていたということでした。つまり、生死の迷いを超えていく道、この生まれて死にゆくいのちをどう生きて往くのか、その教えをお示しくださったと受け取られたのでしょう。
それが、親鸞聖人が「よきひとのおおせ」(『歎異抄』第二章)と、生涯にわたり保ち続ける言葉、「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」(同)との教えであったのでありましょう。
学問して、修行をおさめたとしても、この私が死ぬということは大問題です。葬儀を縁として、亡き方より死すべきいのちの事実を教えられ、私たちは、この私が「死」を迎えるという大問題に直面します。
この事実に向き合い、死にゆくいのちをどう生きて往くのかと仏の教えに尋ねることを、私は「仏教の終活」と受け止めております。



















