光明寺について
歴史
昭和5年(1930)4月に真宗出雲路派の説教所として、現在の千田21番地に創立された。戦災によって焼失し、昭和22年(1947)に現在地に建立され、翌年、現在の寺号に改められた。後に大谷派に属するようになり、これを機に宗教法人となった。
本堂
本堂
本堂内
内陣
本尊 木造阿弥陀如来立像【江東区指定文化財】
位 置 | 本堂内 |
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総 高 | 51.0cm 像高:33.0cm 裾張:8.0cm |
制作年代 | 江戸時代 |
技 法 | 寄木造、玉眼嵌入、漆箔。白毫・肉髻は水晶製。本体と台座は、本来別のものであったと考えられる。制作年代は江戸時代であるが、鎌倉時代の作風を模している。(『江東区の文化財』より) |
住職プロフィール
真宗大谷派 光明寺住職 小林 尚樹
1967年東京都江東区に生まれる。江東区立扇橋小学校・深川第4中学校を卒業し、都立小松川高等学校に入学。中学では野球部、高校ではサッカー部に所属。
拓殖大学を卒業した後、1991年に大谷専修学院を経て真宗大谷派教師資格を取得する。
現代において仏教がどのように社会に関わるのかという自らの問いの「解」を求め・確かめるために、社会人生活(オフィス家具の販売会社であるイナバインターナショナル株式会社)を10年経験する。
勤めながらも、様々な機会において仏教を学んでいたが、「解」というものは見つからず、かえって集中的に教えを学ぶ必要を感じ、2000年に会社を退職し、翌年には宗門の大谷大学修士課程へ入学。
修士論文を提出し、2年で卒業後、真宗大谷派東京教務所に東京教区駐在教導として奉職。2014年に人事異動により本山研修部推進員室主任を拝命、単身赴任での京都生活がはじまる。
しかし翌2015年春、心の準備もないまま、父である前住職が還浄(いのちが浄土へ還りました)したため、週末にはお寺に戻り法務を勤めるという、東京と京都との往復生活になる。 そのような中、翌年には住職修習を受講し、2016年4月28日付けで光明寺住職を拝命する。
2017年7月、人事異動により東京宗務出張所出仕を拝命、またまた、練馬にある真宗会館に戻ることになり、現在に至る。
仏事を大切にお勤めし、お寺が一人ひとりの「ものがたり」に寄り添える場所になることを願っています。
家族構成は、母、妻、子どもは女・女・男の3人。
住職、光明寺を語る!
お寺は死者を弔うためだけにあるのではなく、今を生きる私たちにとって、とても大切な場所なのです。みなさんにもそう感じてもらえるように、お寺を開き続けていきたいと思っています。
真実(まこと)の「ものがたり」が語られ、そして、一人ひとりの「ものがたり」を紡いでいけるような、そんなお寺にしていきたいと思っております。