住職の日記

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7月の掲示板のことばと住職の感想

2025.07.01

7月の掲示板のことば
 
臨終 まつことなし
 
 来迎 たのむことなし
 
 信心の さだまるとき
 
  往生 また さだまるなり
 
   親鸞聖人『末燈鈔』
 
住職の感想です
この言葉は、親鸞聖人のお手紙や教えの言葉がまとめられた『末燈鈔(まっとうしょう)』に記されています。親鸞聖人ご在世の当時は、臨終行儀ということが行われていました。
今まさにいのち終わらんとする者が、顔を西方浄土に向け、心に阿弥陀仏を想い、口に仏のみ名を称えるという身口意(しんくい)にわたる臨終の行儀です。
その行儀によって、いのちの終わりに臨むとき、阿弥陀仏が浄土より迎えに来ることを願い、その場にいる者たちが一緒になって念仏を称えていたようです。
しかし親鸞聖人は、そのような行儀は必要ないとおっしゃったのです。だからと言って、親鸞聖人が浄土往生を願っていなかったかというと、決してそうではありません。浄土往生を本当に願っておられるからこそ、そのような行儀からは離れられたのでしょう。
阿弥陀如来が紫の雲に乗って、菩薩など聖衆(しょうじゅ)を引き連れて迎えにいらっしゃるという不思議な物語を信じることをせず、『仏説無量寿経』に説かれる阿弥陀仏の本願を信じることにより往生は得られるのだという確かな頷きがあったのだろうと思います。
まことの信心を賜った者は、摂め取って捨てないという阿弥陀仏の本願のはたらきによって、必ず浄土に往生する身となるのだと。だからこそ、臨終を待ち来迎をたのむ必要がない。私に如来の信心が定まる時、また浄土往生も間違いのないことであると確信できるのだと。だから臨終来迎の行儀を待つことはないと。
私はこの親鸞聖人のご了解が、とてもしっくりと頷くことができるのです。

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