映画『国宝』を観てきました
2025.07.03
昨日、映画『国宝』を観てきました。
見終わった直後は、多くの方が絶賛しているのを聞いていましたが、僕はというと「ん?」という感じでした。
それが、一夜明け、今朝からじわじわ心が震え出してきました。
その理由はおそらく2つ…
(ここからはネタバレがあるかもしれませんので、読もうと思う方だけお読みください)
ひとつは、国宝ということ。
国宝というと、どうしても最澄の『山家学生式』の言葉が頭に浮かびます。
「国宝とは何者ぞ。宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国宝となす」と。
昨日は、結局芸の技か、と思ったのですが、やっぱりこの道心だったか、という僕の気づき。
一方には血脈があり、家族(執着)があるが、一方には悪魔との契約を望むほどに一点に賭け全てを棄てる。
でもそんな父を恨むほどの娘にさえ、その芸は感動を与える。
宴会の見せ物でも、ど素人の若者を引き摺り込む。
それは、技ではなく、「心」だったのかと。
もうひとつは、かつて吉田修一の『悪人』を観た時に、悪人は誰なのか? という問いかけがこちらに向けられていると感じたのだが、今回の鑑賞後にはその問いかけを感じることができなかった。
つまり、国宝とは何か? という問いかけだろうか。
それが、先のひとつ目のことを考えていたら、その問いがふっと与えられたような気がした。
なぜ、彼が人間国宝になったのか。
この先は、言わないでおきましょう。
というか、まだ、考えています。
さて、原作を読んでみますか。
実は、『悪人』の時、先に原作を読んでいたのが良かったので、今回も『国宝』の原作を購入し読み始めたのだが、はじめの長崎での場面を読んで、これは、読まないほうがいいかなと思って止めておきました。
ですので、これから、ゆっくり読んでみたいと思います。
また、思うことがあれば、ここに記します。