住職の日記

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アニメ『ONE PIECE』(ワンピース)、ルフィとナミの出会いより ~阿弥陀如来の本願について考える~

2017.04.24

今から記すことは、アニメ『ワンピース』に興味のない人には、全く関心のないお話かもしれません。

 

でも、阿弥陀如来の本願が、いのちあるものすべてを救う、といわれても、ピンと来なくありませんか?

 

どこかの誰かの話、救われたいと願っている人のための話、とりあえず今の自分には関係のない話…。

 

その様に感じておられる方がいらっしゃいましたら、ちょっと読んでみてください。

長いんですけど…。

 

アニメ『ワンピース』の主人公「麦わらのルフィ」は海賊です。「ワンピース(ひとつなぎの大秘宝)」というお宝を目指し海賊王になるため、航海をしています。

 

大海原を船で航海するには、海と天気をよく知る「航海士」が必要不可欠です。

ナミという女性は、ルフィを船長とする「麦わらの一味」の航海士になりますが、今からのお話は、ナミがルフィの船の航海士になるきっかけとなる物語です。

 

ナミの住む村は、ある海賊一味に支配されていました。その支配から村を救うため、ナミは、海と気候をよく知る自分の才能によって、その海賊一味たちと取引をして、世界の海の図面を描きます。

 

ナミも、村人たちも、その海賊一味に散々傷つけられますが、海の図面を描き終えたら、村は救われるはずでした。

でも、海賊一味は図面だけを手に入れ、ナミとの約束を反故にしました。

 

その間、幾度となくナミと村人たちは海賊たちに痛めつけられます。

ある時、海上で海賊相手に盗みをしていたナミと出会ったルフィは、ナミを追いかけてナミの住む村へ入ります。

海賊たちに痛めつけられるナミを、ルフィは少し離れたところでずっと見ています。

 

ナミは再三にわたって、ルフィに、「帰れ」と言います。あんたには関係のないことだと、これは自分の問題なのだと…。

 

そのたびに、ルフィは、「ああ」とか「わかってるよ」と言いながら、それでも、帰ろうとはせずに、見ています。

 

それでも、いよいよナミにも限界が来て、村が救われないと思い、もうだめだと思ったその時、ナミのすぐ後ろにルフィが立ちます。

ナミは振り返り、涙を流しながら、「ルフィ、助けて」と言って、初めてルフィに助けを求めます。

 

するとルフィは、この『ワンピース』という物語全体の象徴ともいえる、自分の「麦わら帽子」を、ふわっとナミにかぶせ、両手のこぶしを振り上げ、「当たり前だ! ! ! ! !」と叫び、悪い海賊一味をこてんぱんにやっつけます。(この、麦わら帽子をかぶせるところが、また一晩じっくり語れることがあるのですが、それは、別の機会に…)

 

そして、村とナミは救われ、ナミは、ルフィの船の航海士になります。

 

今、僕は、この文章を書いていて、感極まって、すでに涙ぐんでいます…。

まあ、それはさておき。

 

7年ほど前でしたか、僕は初めて読んだとき、「こんな男になりたいなあ」と思いました。ルフィですね。

ナミの「助けて」という言葉を、そばで見守りながら、ずっと待ってるんですよねえ。

だから、「あたりまえ」なんですね。助けたくて、そばにいたわけですから。

でも、直接ナミから助けを求めてくるまでは、いざという時はすぐに手を差し伸べられる距離で、ずっと見守っているんです。

僕もそうでありたい、と思ったのです。

父として、夫として、その声を必ず聞き取る男になりたい、と思ったのです。

 

それが最近、「正信偈」を読んでいて、ふとこんなことを思ったのです。

 

阿弥陀如来は、そんなふうに、「助けて」っていう声を待っているんじゃないかと。

それが、いのちあるものすべてを救うと誓われた、本願というものなのではないかと。

僕たちのそばで、すぐに手が差し伸べられるところで、「助けて」という僕たちの声を待っているんじゃないかと。

 

でも、僕らは、自分のことだから何とかしようと頑張ります。

何とかなると思っているところもあります。

そんな時は、そばで私に呼び掛ける声があっても、自分とは無関係だと思っているのです。

 

でも、もうだめだ、と振り返ると、そこには・・・、いや、そこからは、わかりません。

そんなふうに振り返ったことがありませんので・・・。

 

いのちあるものすべてを救うということは、私は救っていただかなくても結構ですよ、と言っている人にまで、あなたも救われるんだってよ、ということではないように思います。

 

すべてというのは、自分が信頼していたものが崩れ、それに裏切られ、傷つけられ、絶望したその時に、もうダメだと思ったその時に、いつでも、どこでも、誰にでも、必ず応えるということなのではないでしょうか。

 

親鸞聖人の「正信偈」に、「明如来本誓応機」という言葉があります。

「如来(にょらい)の本誓(ほんぜい)、機(き)に応(おう)ぜることを明かす」と読みます。

 

「正信偈」は、後半で、親鸞聖人が大切に仰がれた7人の先輩方の仏教の受け止めについて紹介されますが、その方々の一貫したお仕事として、「明如来本誓応機」と親鸞聖人は言われます。

 

それは、「7人の先輩方は、阿弥陀如来の本願というものが、私たち問いを抱えるものにいつでも必ず応えてくださる、そのことを明らかにしてくださいました」という意味だと、僕は受け止めています。

 

必ず応える、って、もの凄く心強くないですか?

 

僕たちは気が付いていないかもしれませんが、そんな願いが、常にはたらきかけているって、なんとも、ありがたい・・・。

 

気付いた時には、すでに応えられているんでしょうね。

その時には、僕たちの問いや、悩みや、苦しいことが、おそらく自分自身に受け止めることがきているのでしょうから。

 

「機に応ずる」ということを、『ワンピース』を思い出し、こんなふうに受け止めた今日この頃でした。

 

長~い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

ちょいちょい出していきたいと思います。

 

僕の『ワンピース』論!(^^)

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