11月の「お寺の掲示板」と、住職の感想
2022.11.02
まずは、掲示板のことば。
その人を憶いて われは生き その人を忘れて われは迷う 「宗祖を憶ふ」金子大榮
この言葉は、金子大榮という真宗の僧侶が、今から60年ほど前、親鸞聖人の700回御遠忌(ごえんき)に寄せて詠まれた詩の一部です。11月28日は、親鸞聖人の御命日と伝えられていて、毎年11月21日から28日 までの一週間、京都の真宗本廟(東本願寺)において御正忌報恩講(ごしょうき ほうおんこう)が厳修(ごんしゅ)されます。末寺においても、報恩講が勤まり ますが、光明寺では毎年11月の第2日曜日(今年は13日)に勤修(ごんしゅ) されます。報恩講は、真宗寺院においては最も大切な法要になります。
宗祖親鸞聖人が大切にされた本願念仏の教えに遇(あ)い、この私が真に依(よ) るべき教えを伝えてくださった御恩に感謝し、教えを聞くことを通して、一人ひ とりが、その御恩に報いた生活を確かめてゆくことが願われています。
「その人」とは、親鸞聖人でありましょう。金子先生は親鸞聖人を憶って生き、 親鸞聖人を忘れては迷うのだと言われています。このいのちを生きて往く先師に 出遇い得た喜びが詠われているように思うのです。
仏の教えを身をもって生きた人に出遇い得たとき、私もこの人のように生きて 往きたいと、歩むべき道が、人生が、定まるのでしょう。
そのような出遇いを求めつつ、今年も報恩講に参らせていただきます。
「宗祖を憶ふ」 金子大榮
昔 法師あり 親鸞と名づく 殿上に生れて庶民の心あり 貪道となりて高貴の性を失わず
已(すで)にして愛欲の断ち難きを知り 俗に帰れども道心を捨てず 一生凡夫にして 大涅槃の終りを期す
人間を懐かしみつつ 人に昵(なじ)む能わず 名利の空(くう)なるを知りて 離れ得ざるを悲しむ 流浪の生涯に常楽の郷里を慕い 孤独の淋しさに萬人の悩みを思ふ
聖教を披(ひら)くも 文字を見ず ただ言葉のひびきをきく 正法を説けども 師弟を言はず ひとへに同朋の縁をよろこぶ
本願を仰いでは 身の善悪をかへりみず 念仏に親しんでは 自(おのず)から 無碍の一道を知る
人に知られざるを憂えず ただ世を汚さんことを恐る 己身(こしん)の罪障(ざいしょう)に徹して 一切群生の救いを願ふ
その人逝きて数世紀 長(とこし)へに死せるが如し その人去りて七百年 今なほ生けるが如し
その人を憶(おも)いてわれは生き その人を忘れてわれは迷う 曠劫多生(こうごうたしょう)の縁 よろこびつくることなし