住職の日記

住職の日記

9月の「お寺の掲示板」と住職の感想

2021.09.16

まずは、掲示板のことば。

 

ただ念仏して

 

    弥陀にたすけられまいらすべし

 

         『歎異抄』

 

この言葉は、『歎異抄』第2章に記されていることばです。

『歎異抄』は、親鸞聖人のお弟子さんである唯円という方が著されたとされています。

第2章は、親鸞聖人が茨城にいらした頃のお弟子さん達が、命懸けで京都にいらっしゃって、親鸞聖人に直接「問い」をぶつけるという場面が描かれています。

お弟子さん達は、親鸞聖人が京都に帰ってしまわれてから時が経ってしまったことにより、往生ということが分からなくなってしまい、直接親鸞聖人に会いに来られたのです。

そのお弟子さん達に、親鸞聖人はこのようにこたえます。

「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり」

親鸞聖人と離れて20年ほど経ったお弟子さん達に、「私親鸞においては、このように、今は亡き法然上人のお言葉を信ずるほかありません」とおっしゃったのです。

このとき親鸞聖人は、法然上人と離れて50年ほどが経っていました。

にもかかわらず、師である法然上人の言葉を大事に抱え、生きてこられたのです。

皆さんは、この言葉は難しいとお感じですか?

僕もかつては難しいと思い、どういうことなのか分かりたいと思いました。

でも、頭で理解しただけでは、きっと、この関東のお弟子さん達のように、何度も聞き返すのでしょう。

私は、親鸞聖人は心でうなずいたのだと思います。

念仏する人の生き方を目の当たりにして、ご自分もこの人のように生きて往きたいと思われたのではないでしょうか。

その思いを50年忘れることなく抱き続けてきたのでしょう。

 自分の生き方を方向づけるほどの言葉、そんな言葉に出会いたいものです。

« 一覧へ戻る

 _

LINEAJEg

YouTube`l

ʐ^M[

^@Jh@{莛

^@Jh

^@

̗t

ǂ݂ܐȁ@TOMOԂ

^@Jh

ӂcCb^[

Instagram

܂Ă

sJ_[

sJ_[
12月 2025
月曜日 火曜日 水曜日 木曜日 金曜日 土曜日 日曜日
2025年12月1日 2025年12月2日 2025年12月3日 2025年12月4日 2025年12月5日 2025年12月6日 2025年12月7日
2025年12月8日 2025年12月9日 2025年12月10日 2025年12月11日 2025年12月12日 2025年12月13日 2025年12月14日
2025年12月15日 2025年12月16日 2025年12月17日 2025年12月18日 2025年12月19日 2025年12月20日 2025年12月21日
2025年12月22日 2025年12月23日 2025年12月24日 2025年12月25日 2025年12月26日 2025年12月27日 2025年12月28日
2025年12月29日 2025年12月30日 2025年12月31日 2026年1月1日 2026年1月2日 2026年1月3日 2026年1月4日

y[W擪