成人の日に寄せて・・・成人の皆さんへ
2021.01.11
本日1月11日は、成人の日です。
コロナ禍で、中止のところが多いようです。
わが街、江東区も中止のようです。
もちろん僕も経験があるわけですが、成人の日といっても、楽しみは昔の同級生に会える、というくらいでした笑。
この日で何かが変わるわけでもなく、すでに、20歳に成っていましたので。
ここ数年、この時期になると思います。
成人・・・人に成るとはどういうことだろうかと。
一般的には、社会人として、法律に基づいて契約ができたり、自分の責任を負うことになります。
でも、それが人に成るということではないと思います。
なにも、20歳を待つことはないのです。
もしろ、何歳であっても、本当の意味で「人と成る」とはどういうことなのでしょうか。
僕は、こう思っています。
「人」とは、このいのちが生まれたこと意味を問う者であると。
ですから、生まれたことの意味を知る者が、「成人」なのではないかと。
そうなりますと、果たしてこの私は、「人」と成っているのだろうかと考えざるを得ません。
真宗大谷派(浄土真宗・本山は京都の東本願寺)では、2023年に大きな法要を控えています。
宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要です。
その法要に向けて、真宗大谷派は、世界にテーマを発信しています。
そのテーマは、
「南無阿弥陀仏
人と生まれたことの意味をたずねていこう」です。
また、誰もが知っている歌「アンパンマン」の主題歌で、
「何のために生まれて 何をして生きるのか
こたえられないなんて そんなのは いやだ!」と、その作者やなせたかしさんは、子どもや大人、おじいちゃん・おばあちゃんに歌わせてくれます。
生まれたことの意味を知りたい、ということは、誰もが持つ根源的な願いであり、問いであルト、僕は思います。
僕は、このことを問う者が、「人」なんだろうと思っています。
成人を迎えられた皆さん、あなたは、なぜ生まれてきたのですか。
YouTubeチャンネル「語り場 光明寺」でもお話ししています。
https://www.youtube.com/watch?v=_v36llyY-DU