そろそろ、蝉もいなくなってきたような・・・
2016.09.05
夏になるといつも気にしている言葉があります。
それは「蟪蛄(けいこ)春秋(しゅんじゅう)を知らず」という言葉です。
これは、親鸞聖人が大切にされた中国の南北朝時代の僧侶・曇鸞の著作にあるたとえ話です。
蟪蛄(けいこ)とは、蝉のことです。蝉は春や秋を知らない、という意味ですね。だから、蝉は、自分が生まれた今が夏だということも知らない、というのです。
この言葉から、今を生きているこの私は、はたして「今」というこの時を知っているのだろうか、なんてことを思うわけです。
なぜなら、この私は、一体どこから来てどこへ行こうとしているのか、知らないままに生きているのではないかと思うのです。それはまるで、蝉が、春や秋を知らないように。
そんな今年、ある詩に出会いました。
杉山平一さんの『生』という詩です。ご存知でしょうか。
ものをとりに部屋へ入って 何をとりにきたか忘れて
もどることがある
もどる途中でハタと
思い出すことがあるが
そのときはすばらしい
身体がさきにこの世へ出てきて
しまったのである
その用事は何であったか
いつの日か思い当るときのある人は
幸福である
思い出せぬまま
僕はすごすごあの世へもどる
いま、ここに、生きているということ、親鸞聖人に尋ねてまいりたいと思います。