4月の掲示板のことばと、住職の感想です
2020.04.08
えらび・きらい・見捨てる 我々の心
えらばず・きらわず・見捨てずの 如来の心
この言葉、2016年12月以来の2度目の登場です。
新型コロナウィルスの 脅威が世界を席巻している今、改めて僕のこころに響いてきたからです。
この言葉は、およそ30年前、私が京都の大谷専修学院という、真宗大谷派の 教師養成のための全寮制の学校に通っていた時、当時の学院長でいらした、竹中 智秀先生がよくおっしゃっていた言葉です。
今、コロナウィルスはもちろん怖いです。
薬がありませんし、年齢を問わず重 症化する可能性があります。
でも、僕が恐れていることは他にもあります。
それ は、ウィルスを恐れるあまり、僕たちに「選び、嫌い、見捨てる」こころが表面 化してくることです。
それよって僕たちが、感染の恐れがある場所や物、コミュ ニティまでをも嫌い、大切に出会うべき「人間」を差別してしまうことです。
竹中先生は、阿弥陀如来という仏さまは、いのちある者を決して選ばず、嫌わ ず、見捨てることのない仏さまなのだと言われていました。
そして、いつでも、 どこでも、誰にでも、その願いを呼びかけ続けているのだと、おっしゃっておら れました。
しかし悲しいことに、僕たちの現実は、その阿弥陀如来の願いに背か ざるを得ないような社会の中で生きているのです。
今、このような時だからこそ、仏の教えにわが身をたずね、大切ないのちを傷 付け合うことなく生きて往く道を求める者となることを願わずにおれません。